方向転換のタイミング
自分に向いていること、上手にできることだけをひたすらするのもいいけど、
向いてなさそうに見えることをとことんまで突き詰めて、
どうしてもダメで、
泣きながら方向転換するのもいいよね。
最後にはいいようになるから、とにかく、ひたすらやってみるのが大事よね。
自分に向いていること、上手にできることだけをひたすらするのもいいけど、
向いてなさそうに見えることをとことんまで突き詰めて、
どうしてもダメで、
泣きながら方向転換するのもいいよね。
最後にはいいようになるから、とにかく、ひたすらやってみるのが大事よね。
最近、
あきらめたらそこで終わり。
あきらめなければ必ず道は拓ける。
という意味の言葉をよく見聞きします。
見聞きするたび、娘に教えてあげたいな。といつも思うのですが、
(娘もそういう話が好きなので)
さっき、これはわたし自身へのどこからかのメッセージなのだな。と
ふと思いました。
わたしは娘に幸せになってほしいと思っていますが、
自分のことは結構どうでもいいというか、あまり自分のこの先のことが思い浮かばないんですよね。
娘が幸せになれば、まあいいか。みたいな。
でも、自分以外の人を幸せにしようとするなら、まず自分。なんですよね。
長い間考えたことのなかった、自分の幸せというものを思い浮かべてみたいなー。
先ほど書いた「感動させたい」を深く考えてみると、
「誰かの役に立ちたい」というのも、
本当は、
自分の好きなことを一生懸命やっていたら、「救われた」という人がいてくれて、わたしはうれしい。
という風になれば、一番自然なような気がする。
「誰かに役に立ちたい」には、
押し付けや無理があるような気がする。
やっぱり、自分の好きなこと、ワクワクに集中しよう。
わたしは、よく芸能人やスポーツ選手が言う
「人々を感動させたい」
という言葉が大嫌い。
自分が楽しんで、好きでやったことで誰かが感動してくれたら、それはまたうれしい。ぐらいの気持ちでやってよ。と思ってしまう。
もちろん、誰かの行動で感動したら、「ありがとう」と思ってます。
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