人は自分の見たいものを見ている
ここ最近、いろんな情報を見ていて、
人は、自分の見たいものを見ているのだなぁと強く思います。
心配をふくらませたい人は怖い情報ばかりを見、そしてそれを発信し、
必ず良い方向へ向かうと思っている人は、希望を見つけ、それを発信しています。
それでいいんだ。と思いました。
以前は、どうか全員が明るい方を向いてほしい。希望を持ってほしいと思っていましたが、今は、見たいものを見ればいいんだと思います。
ふと明るい方を見たくなったらそちらを見ればいいし、明るい方ばかりじゃいけないような気がする時は暗い方を見てもいい。
長年、「近所の人からは働いてないように思われているらしい。」というのが小さな悩み(笑)でした。
大きな悩みだったこともあります。
「暇そうに見えるってことは、外見が疲れてないってことやな」と、いいように考えようと思っても、実際はめちゃめちゃ忙しいのに、暇そうに、気楽そうに見えるなんて、耐え難いことのように思っていました。
でも、
人は自分の見たいものを見ている のですから、
わたしのことを「あの子、暇そうやな」と思いたい近所のおばちゃんは、そんな風にしか見ないでしょう。
実際、仕事の話もしたことがありますが、
「そんな仕事で生活できるわけない」と思いたい人はそう思うでしょうからね。仕方ありません。
自分を、自分が思って欲しいように誰かに見て欲しいと思うと、苦しくなります。
だけど、近所の人からは「働いていないように見える」かもしれないけど、実際、わたしはしっかり働いているし、税金もしっかり払ってるし、誰にどう思われようといいのです。
そんなことをふと思う、今日この頃です。
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