新月の願い
忘れなければ新月の願いを書いているのですが、2年ほど前から時々書いていたことで、「まあ、でも、無理だろな」ってことが叶ってるようなのです。
びっくりです。
どこで何がどうなるか、わからないもんですね
忘れなければ新月の願いを書いているのですが、2年ほど前から時々書いていたことで、「まあ、でも、無理だろな」ってことが叶ってるようなのです。
びっくりです。
どこで何がどうなるか、わからないもんですね
わたしは、「戦略的に」という言葉を見ると、すごく嫌な気分になります。
過去の経験も手伝って、「戦略的に」何かをする人はズルイというイメージができあがっているようです。
きとりかさんのセッションを受けていて、そのことに気付きました。
きとりかさんはおっしゃいました。
「戦略的に」の上に「みんなが幸せになるために」をつけてみたらどんなイメージですか?
ああ、それだといいなぁと思いました
最近、言い方(思考)の訓練をしています。
ええ、自分ひとりでです(笑)
例えば、
人気が出たからって、仕事が雑になる人(会社)は残念
を、
人気が出ても、忙しくなっても、丁寧な仕事や真心を忘れない人(会社)を見ると、感動する
という感じです。
どちらも本心です。無理には変換してません。
それが何の役に立つのかはわかりませんが
今やってみたいのでやってます
おひさまが当たっているところは、ポカポカです
今朝、ラジオから
「口に出した言葉は、必ず自分に戻ってきます。ですから、みなさんもっと『言霊』を大切にしてください」
というような内容が聞こえてきました。何かの記事の紹介のようでした。
「五日市剛のツキを呼ぶ魔法のサイト」で、窓辺のおばあさんの絵をクリックすると言葉がもらえるのですが、そこでも
「しゃべった言葉はね、命があるの。それに、いつか必ずあなたのもとへ戻ってくるからね。だからいい言葉だけをしゃべりなさい。その方が賢明よ。」
と出ました。
今まで以上に、言葉を大事にしたいと思います
まあ結局、自分にとって一番いいようになるんだから、
神社にお参りに行ったり、ご祈祷していただいたりしてもあまり関係ないのかな。
などと、
やっぱりチラッと思ったりしてしまうわけです。
自分の受験の時ほど、「何やねん!神様!」などとは思いませんが…(笑)
すると、今朝、車の中で聞いていたラジオ番組に
「北野天満宮の宮司さん」が出演なさっていました。
放送の最後の方で、司会者の方が思い切った質問をなさいました。
「お参りに行ったら、必ず合格できるんですか?(笑)」
宮司さんは、7~8年前、御札を購入した学生さんが巫女さんに
「これで絶対合格できるって保証してくれるんやな!?」と言ったというお話を始められました。
その時、宮司さんはその学生さんに、
「もし、お参りに来て御札(御守)を買ったら合格できるというのなら、私は戎神社の目の前のマンションにでも住んで、毎日『えべっさん、今日もサイフにお金を入れてください』ってお願いして暮らそうと思う。そんなことが可能だと思いますか?」と尋ねられたそうです。
「そんなことがあるわけない」と言う学生さんに、「あなたの言っていることは、今私が言ったことと同じことですよ」と宮司さん。
「不安があるから神社にお参りに来られるのだと思います。
その不安を神様に軽くしていただいた上で、
『試験の日まで、今まで以上にがんばりますので、神様よろしくお願いします』
と、神様の前で『努力する』ということを誓うわけです。
そして、御札を目の前に置いて、一生懸命努力する。そうしたらあなたは合格に近づきます。」
(話の詳細はところどころ違っているかもしれませんが、大体の流れはこうです)
それを聞いた学生さんは、途中から表情が変わり、「がんばります」と言って帰られたそうです。
残念ながら報告はなかったので、その学生さんが実際その後どうされたかはわからないそうですが…。
でも、確かにそうだなと思いました。
お参りに行って以降、娘にスイッチがカチッと入りましたから。
朝、わたしがあんなことを考えていたので、神様がメッセージをくださったのだと思います
ありがとうございます
落ち着いたら、お礼参りに伺います。
第一志望は不合格でした。
元々「ダメ元~五分五分」の状態で、次のこと(第二志望)、高校に入ってからのことも視野に入れての挑戦だったので、本人のダメージはほとんどないです(もちろん悔しい気持ちは持っていますが、気持ちはすでに切り替わっています)。
合格発表の前日までは、
「どんなに難しくても(難関校のため)、高校でもがんばって勉強するから入りたい」と言っていたのですが、
当日は、「神様が、わたしにとって一番いいとこにしてくれるんやんな」
と、明るく発表を見に行きました。
そして、不合格の連絡で電話してきたときは
「○○ちゃんは受かったよ。○○ちゃんが受かって良かった」と泣きながらも友達を祝福する心…
わが子ながら、そういうことを本心で言えるところがスゴイと思います。
受かった方の子は、人にいいことがあった時に怒って数日口をきかなくなるタイプの子なので、娘の対応に驚いていたそうです。
それと、「どうしても行きたい」と泣きながら猛勉強した学校の合格発表(本人にとっては一大事)に、一人で行って結果をしっかり受け止められるほど大きくなったんだと思ったら、今まで関わってくださった、周囲のいろんな方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
「挑戦」は人を大きくしますね
応援していただいた皆様、ありがとうございました
わたしも娘も、周囲の人にすごく恵まれているなぁと思います。
特に娘は、嫌な思いをすることも多いけど、
そのたび、その倍以上の素敵な人たちに出会っています。
本当の理解者は少ないかもしれません。
でも、「変わってる」「不思議」「おもしろい」「やさしい」と、いろんな面を好きになってくれる人に恵まれて、何かあるたびに「あ、実はこの人も理解してくれていたんだ」と気付くこともできていて、良かったなと思います。
もちろん、万人に好かれるなんてことはありません。
すごい嫌がらせをしてくる子も時々現れます。
でも、わたしは思います。
「嫌がらせをするような子に、好きになってもらわなくてラッキー」
嫌がらせなんかしても、自分の価値を落とすだけなのにね。
でも、昨日「踊るさんま御殿」で、
「奥さんが裏表のある人でも、裏の顔を一生知らずに済むのなら別にいい」とかいうようなことを言ってた出演者がいたけど、
へぇ。そういう考えもあるんだぁ。
わたしは、自分の旦那や子どもが、実はすごい意地悪だとかってことがあったら、知らなかったとしてもすごい嫌だけどなぁ…。
知らなかったら、知らないままだからいいのか…。
トヨタが、プリウスのブレーキ抜けの問題を最初、「お客様の感覚の問題で、技術的な欠陥ではない」と言っていましたが、この言葉、わたしは10年ほど前にも聞きました。
わたしのプリウスは、買って間もなくから、走っている最中にグッと車体の後ろを引っ張られるような感覚がする状態になることがありました。がんばってアクセルを踏んでいればすぐに元に戻るのですが、免許初心者でしたし、非常に怖い思いをしました。
すでに「プリウスマニア」という掲示板で話題になっていたこともあり、やんわりと販売店に問い合わせると、点検はしてくれましたが、「そんな問題は聞いたことがないし、異常もない。車のコンピューターにも異常が発生した記録は残っていない」と言われました。
でも、直らないので、何度か目に、掲示板の話題の部分を印刷して持って行きました。
すると、やっと本社に問い合わせてくれ(ここで「やっと」ですよ!)、実際にそういう問題があることを把握し、今回と同じようにプログラムの書き換えを行ってくれて直りました。
しかし、
「これは欠陥ではなく、あくまでもお客様の感覚の問題です。
そのままお乗りいただいても差し支えはなかったのですが、
気になるとおっしゃるので改善しました。」と言われました。
多分、本社から「これだけは言っておけ」とでも言われたのだろうなと思う言い方でした。
まるでクレーマーのような扱いでした。(笑)
ま、確かに、乗ってて怖かったのですっごく怒りましたけど
そんな経験があるので、今回のトヨタの大問題は「なぜ??」とは思いません。
10年前からもっと誠意のある対応をしておけば、こんな状態にはならなかったのではないかと思い、残念です。
技術に自信を持つのは良いことですが、
対応が悪ければせっかくの技術も台無しです。
あの頃はプリウスは少数派でしたし、乗っている人の多くは「普通の車と若干違うかも」という意識で乗っていましたから、あんな対応でも騒ぎにならなかったのでしょうが…。
プリウスのことは、今でも大好きです。
第一志望の入試が近づき、元気が出る言葉がほしいのか、
最近娘はよく
ドラことば心に響くドラえもん名言集 を読んでいます。
マンガ「ドラえもん」の中から、素敵なセリフを集めた本です。
今朝も読みながら、
ドラもんの熱さと、(松岡)修造さんの熱さって似てる
と言っていました。
似てると思った、そのセリフは…。
もっと気もちをいきいきとあらわせよ。
でした。
今、わたしもパラパラと読んでみたところ(ずいぶん前に買っていたのですが、じっくり読んでいませんでした)、親が子を思う気持ち、子が親を思う気持ち、友達や好きな人を思う気持ち、人生に立ち向かうときの気持ち、くじけて泣いているときの気持ち…などなど、思わず泣きそうになる言葉がたくさん詰まっていました。
ドラえもん全巻買おうかと思うぐらいです…(笑)
娘とY君は、幼稚園の時からの大親友です。
中学になってからは、さすがに一緒に遊ぶことはありませんが、会えば話が弾みます。
今日は私立高校の受験。
何の相談もしていないのに、おもしろいことに2人は同じ高校を受けます。
中学から、できるだけ試験会場へ連れて行くようにと言われていたのですが、臨時直通バスを出してもらえるのでバス停まで送っていきました。
超マイペースな娘もさすがにちょっと緊張したのか、「Y君がいたらそこに割り込んで並ばせてもらいたい」などと不謹慎なことを言っておりました。
でも、すでにものすごい人数が並んでいたので、娘はY君を探すこともあきらめ、学校ごとに団体になってワイワイ話しながら並んでいる子達の後ろにそっと並びました。
わたしは、一応直通バスが出るまでいようと思い、離れた所に立っていました。
Y君を探しながら(絶対に早めに並んでいるはずなので)、「あの2人がお互いにお互いを頼りにしたり助け合ったりするのも、もうこれで最後だなぁ(第一志望は別の高校)」「娘もY君も緊張していないだろうか」と、ちょっとしみじみしていました。
ふと娘に目をやると…
全然知らない子2人とニコニコしゃべっています
た…たくましい
しゃべってくれたお2人ありがとう
その女の子達が、1人で並んでいる娘に話しかけてくれたのかもしれません。
そしてバスが来て、Y君は1台目の最初の方で乗り込みました(娘は4台目…)。
やっぱりきっちりしてるわ~。すごく早く並んでたんだね。
受験会場では会えているはずなので、2人共リラックスして試験を受けてくれるといいなと思ってます。娘としゃべってくれていたあの女の子たちも、他の子もみんなうまくいきますように
「努力」という言葉をわたしはよく使いますし、今振り返ると努力したなぁと思うこともありますが、今できるようになっていることをしている最中は、「努力している」とは思っていませんでした。
「わたしは今、努力している」「努力して○○しなければいけない」と思って取り組んでいることは、途中でやめてしまいます。
周囲からは努力に見えても、本人は「楽しいなぁ」「おもしろいなぁ」と思ってやっていることは、身についていたり、達成できています。
最初から楽しかったり、気が向かなかったりすることも、「どうせするなら楽しく」という工夫をしていたら、そのうち楽しくなってきたりします。
津留晃一さんが、「しなければいけないことは、何もない」というのも、こういうことかな…と思っています。
「しなければいけないから」ではなく、「楽しいから」「したいから」する。
最初はしたくなくても、何とか工夫して楽しみを見つける。
どうしたら楽しめるだろうかと意識していれば、いろいろ方法が見えてきます。
そのことを娘に話したいと思いつつ、言葉がうまく見つからなかったのですが、さっき車に乗っている時に思い浮かんだので、急いで書いてみました。
お読みいただき、ありがとうございます
先日、おなすさんから「名前に感じる違和感のことについて、ホ・オポノポノの本に載っていた」という情報をいただきました。
今まで、ホ・オポノポノって、とにかく4つの言葉「ごめんなさい」「許してください「愛しています」「ありがとう」を言えばいいんでしょ。ぐらいに思っていて、本を買う気にはならなかったのですが、今回興味がわきました。
これかな?と思う本を早速Amazonで注文したつもりが、カートに入れただけで注文できていなかった(笑)ので、書店に行った時に見てみることにしました。
すると、注文しようとしていた本には、わたしの嫌いな作家の体験談が載っていたので、名前のことが載っているかどうかわからないけれど、別の本を買いました。
すると、ちゃんと名前のことが書いてありました!やったー
たった4つの言葉で幸せになれる!心が楽になるホ・オポノポノの教え
うっかりすると名づけ人の記憶が再生されてしまう危険性をはらんでいます。(P.48)
「…あるなー」と思いました。だって、祖母に言われて仕方なく、親が気に入らない名前をつけたのですから。
フラワーフォトセラピーでも、「胎児期に、お母さんを通して受け取ってしまった波動の影響」というものがあると聞きました。
そんなものの影響を受けているとしても、わたしには責任などございません!
そして、親だって、そんな影響を与えたと知らされてもどうしようもありません。
誰のせいでもないし、誰のせいにもせずに自分が潜在意識にためてしまったそういう記憶や波動を自分でクリーニングするだけで「自分の人生」を生きられるなんて素敵だし、「そうしたい」と強く思いました。
「自分の人生を自分で切り拓いて進むのだ!」という思いは高校生の頃からすごく強かったのですが、親に対する怒り、嫌みで自分を縛っていたのだとここ数ヶ月ではっきりわかりました。
フラワーフォトセラピーは花写真で。ホ・オポノポノは4つの言葉「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」「ありがとう」で。わたしはダブルでクリーニングします
以前は、ホ・オポノポノに対する「無理~」という拒否感があったのですが、今回やってみると心地よかったので…
お読みいただき、ありがとうございます
娘の同級生のお母さんが、受験のことですごく張り切ってます。
もう試験が迫ってますからね。
普段にもまして、いろいろ気遣いや質問のメールくれます。
きっと落ち着かないんだろうなぁ…。
わたしも娘の中学受験の時は特にそうでした。
なんか妙にウキウキするというか、とにかく張り切ってました。
「ポジティブに考えなきゃ!」とか思って、不安を打ち消そうとして、ペラペラとよくしゃべってたわぁ。
今はどうだろうなぁ…。
ひょっとしてうまく第一志望に入れるんじゃないかと思う時、
ダメだった場合の励まし方を考えてる時、
第3志望まで全部ダメだったら… なんて考えちゃう時、
わたしが何とかしてやれることはないかと思う時、
まあ高校なんかどこでもいいやんか(その先は本人次第)。と本当に興味がない時、
などなど、心はコロコロ移り変わります。
自分の気持ちを実況中継してみることもあります。
結構楽しい(?)です
でも、やっぱり子どもの受験は気になっちゃいます。
ただ、中学受験の時みたいに「ひたすらポジティブに!」って気分はゼロです
娘が不安になっている時は、「そりゃ不安よなー」とか言って付き合ってます。
今日もお読みいただき、ありがとうございます
娘の将来の夢を聞いたある人は、
「それは趣味やろ!」と怒ったそうです。
そこにいた別の人は
「ううん!わたしにはわかるよ。そういう仕事はきっとあるし、絶対にやってほしい!応援する!」と言ってくださったそうです。
わたしは、
「そういう仕事がもしもないなら、創ってでもやればいいよ!」
といいました。
わたしだって、自分が15歳の時には「なかった」仕事をしてるんだから。
今日もお読みいただき、ありがとうございます
2年と少し前、ジーニーさんのメールリーディングを受けました(今は個人のリーディングやセッションは受けておられないようです)。
そのことを昨日思い出して、久々に読み返してみたところ、
その時はピンと来なかったことが、今ものすごく理解できました。
あなたにとっての子育てというのは普通の子育てとは大分意味が違うように感じられます。
(中略)
あなたにとってお子さんとはご自分の一部であり、子育てとは自分自身の面倒を見るような感覚であったのかもしれません。
わたしはよく娘に、「大きくなったら、好きなところへ行って自分の好きなことをしたらいいよ」とか言っていました。
その時は「娘とわたしは違う人間なのだから、どうぞ好きなことをして」という気持ちでしたが、もしかすると「わたしは好きなようにさせてもらえなかったから、娘は好きなようにさせてあげなくてはならない」「わたしは楽しくない子ども時代だったから、楽しく生きてもらわなくてはならない」と思いすぎていたのかもしれません。
自分が味わった「嫌な思い」を、娘に限らず他の誰にも味わってほしくはないと思いますが、その同じような経験に、他の誰かも「嫌な思い」を持つかどうかということはわからないですよね。
娘に「わたしと同じような経験」をさせまいと、先回りしてあれこれ気にしすぎていたようです。
娘にとっては、そういう経験をするよりも、わたしが先回りしてあれこれ言うことの方が「嫌なこと」として残るかもしれないのに。
確かにわたしは「自分自身の面倒を見ていた」のだろうと思います。
自分がされて嫌なことは、今後も娘にも他人にもしないと心がけますし、できる応援は精一杯するつもりですが、スタンスが今までと違ってくるかな。違ってくるといいな。
お読みいただき、ありがとうございます
フラワーフォトセラピーを受けようと思ったのは、
「娘の高校受験が気になって、あれこれうるさく言ってしまうのをやめたい」というのが一番大きな原因でした。
わたしがあれこれ言い過ぎて、あの子をつぶしてしまうのではないかというのが、一番の恐怖でした。だから、わたしさえだまれば、全部うまくいくのだと思ったのです。
娘のいいところは十分知っています。
そして、それが万人受けしないこともわかっています。
前回のセッションで、するすると謎が解け、
「わたし自身が『周囲からつぶされた』という思いを持っているのだな。だから、娘をつぶされてたまるかという気持ちが強すぎたのだ」とわかりました。
そして、娘が周囲につぶされないように、先回りして厳しくしつけたり、心配したりしていました。
2年ほど前、ジーニーさんに同じようなことを相談したとき、
「お嬢さんはとても強い人であるので、お母さんにつぶされてしまうようなことは恐らくないでしょう。これは心配しなくても大丈夫ですよ。」
とお返事をいただきました。
けれど、わたしは解放されていませんでした。
(また後日書こうと思いますが、ジーニーさんにいただいたメールを読み返すと、今ならわかる、どんぴしゃなことばかり書いてあり、びっくりしました)。
昨日、斎藤一人さんのツイてる! という本についていた(笑)CDを聞いていたら、「親は子どもに勉強しろとか言うけど、子どもは自分が困って学ぶときが来たら勝手に学ぶから大丈夫」というような内容がありました。
ちょうど娘が帰ってきたので、
「斎藤一人さんが、『子どもは困ったら勝手に学ぶから、親はやいやい言わなくていい』って言ってるわ。お母さんももう言わなくていいよな。今までごめん。」と言うと、
「斎藤一人め。いらんこと言いやがって(笑)」
と、ゲラゲラ笑っていました。
その後も、「この本のこういうところを…(参考にしたらいいよ)」とか言おうとして、「あ、そうやそうや。斎藤一人さんがそんなこと言わなくていいって言ってた」と言うと、
「くそっ!斎藤一人がいらんこと言う(笑)」
とゲラゲラ
娘は、わたしが何かを言って変わることもないけど、わたしがつぶすようなこともないんだ。
わたしなんかにつぶされるような子じゃないんだ。
そう確信が持てました。
斎藤一人さん、娘が呼び捨てにしまして申し訳ありません。m(_ _)m
おかげさまで、わたしは恐怖から解放されました。
ありがとうございます。
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