クリスマスよりも前に、北野天満宮に合格祈願に行きました。
わたしの高校受験のとき、親戚が連れて行ってくれたのですが、
その後お礼参りにも行っていなかったので、
25年以上ぶりでした。
わたしの高校受験の頃は、
「希望する高校に、成績の良いものから順に合格」という普通の制度ではなく、
市内の県立高校を同じレベルにするために、6つの高校全体でざっくり合格者を決め、その後本人の希望を考慮した上で成績を均等に振り分ける…という、今思えばとんでもなく人権無視の制度でした(そのかわり、他の学区に比べて成績がかなり低くい人でも県立高校に入れました)。
そんな状態でも、一応希望校は願書に書きます。
わたしは、本当はA高校に行きたかったのですが、親がここにしろという強い意見に負けて、B高校と書きました。
合格祈願に行ったとき、
正直言って、県立高校に合格することはわかっていたのです。
かといって、願書に書いたB高校へ行きたいわけではありません。
でも、C高校には絶対に行きたくないと思っていました。
わたしは神様にお願いしました。
「C高校以外でお願いします」
…結果
C高校へ入学することになりました…。
そこからわたしは、すねました。
無理にB高校と書かせた親を恨みました。
A高校に入学することになって泣いている友達を憎らしく思いました。
すねて3年間過ごしました。
潜在意識のことを知ってから、
神様には「以外」という言葉は通用しないのだと、思いました。
なので、「C高校でお願いします」と神様には聞こえたのだと解釈していました。
でも、なんとなく釈然としません。
釈然としないながらも、名前を出した高校に合格したのですから、ご利益はあるのだろうと思い(笑)、娘も行きたいと言うので今回お参りすることにしました。
お参りする前に、「調べ魔」のわたしは、北野天満宮のことをあれこれ調べました。
すると、衝撃的なことがわかりました。
☆京都ご利益ワンダーランド☆というブログの
学問の神様の総本家で合格祈願!という記事に、
(詳細は省きますが)
『お願いする時は一校のみ!』
が鉄則だとありました。
・・・道真公は、八方美人はお嫌いのようですじょ(^^;)
とも…
ああそうか。
「C高校以外」では、1校に絞っていないからダメだったんだ。
「以外」という言い方はダメだったんだと解釈するよりも、スッキリしました。
そして、実際に北野天満宮へ行って、娘の合格祈願の祈祷を受けたとき、
「長い間お礼にも来ずに申し訳ありませんでした。」と、心からお詫びすることができました。
すると、
よぅ来た よぅ来た
と、天神様がニコニコしてくださっているような気がし、
それと同時に、
「親がB高校と無理に書かせた」と思っていたけれど、
自分も天神様に「A高校に行かせてください」とお願いするほど強い意志を持っていなかったじゃないか。ということに今さらながら気付きました。
そのことがスッキリして以来、
「親にされたあれこれ」は、完全に気にならなくなりました(フラワーフォトセラピーを受け始めてからだいぶん気にならなくはなっていたのですが、高校受験のことだけがずっと引っかかっていたので)。
それと共に、
「娘は絶対に希望する高校へ入れてやりたい」という執着も消えました。
執着が消えたらどうなったかは、また後日書きます。
とりあえず今回は、
「合格祈願は1校の方がいいみたいですよ」
というお話しでした
長々とお読みいただき、ありがとうございます
最近のコメント