このブログにはできるだけ良いことを書こうと思っているのですが、今日はごめんなさい。
娘が、何年も前から入りたかった公立中高一貫校(試験は適性検査のみ)に不合格となりました。(T^T)
11倍を超える倍率の狭き門ではあったのですが、もちろん現実的な努力もしっかりしたし、神頼みもしたし、願いが叶うという古墳にも行ったし、適性検査でもおかしな答えをしたとは思っていなかったので、発表当日は2人共「合格」以外全く考えていませんでした。(^^ゞ
なので、番号がなかった時は本当に本当に本当に驚きました(@○@)。
でも、「あれをしておけば良かったなぁ~」という悔いがまるでないので、「あれだけやってダメならその学校に合わないということだ。別の中学に行くべきということだ」と思うし、「この子を入れないなんて、なんとセンスのない学校か」と言ってくれる人もいたりするので(私もそう思う。笑)、親子共々立ち直りも早かったです(娘はまだ完璧には立ち直ってませんが)。
ただ、今さらながら思うのが、「願望実現のためにどんなことをしても叶わないことがある。その場合は別の道の方が合っているということ」なら、「願う」って何だろう?ということです。
「なりたい自分」「やりたいことができる自分」になることが大切で、学校はただの過程なのだとすると(実際そうなのですが)、「合格祈願」って何だろう?とか…。
もちろん、これまで「願うこと」「想いの力」の素晴らしさをたくさん経験してきたので、意味がないとは思いません。
今までしてきた努力が次の道につながるのでしょうし、今回は願い方や努力の方向が間違っていたのかもしれません(もちろん足りなかった部分もあるでしょう)が、どうもまだスッキリとは腑に落ちません。
腑に落ちないということは、責任を他に転嫁しようとしているということでしょうか?
現実は自分が作っているのに…。
さらに、他の人には今まで「きっと別の道があるってことだよ」とか言ってたなぁとも思い、何と口先だけの理論を言っていたのかと気付きもします(そんなつもりはなかったけれど、自分の身に起こった時に完全には納得できないということは、口先だけだったのだろうと思うので…)。
今まで私にそんなことを言われた方、ごめんなさい。m(__)m
一つ娘をほめてやりたいのが、「あそこに行って願ったのにダメだった」とか一切言わないことです。誰のせいにも何のせいにもせず、しっかり現実を受け止めて、相変わらず前向きだし、他の人に良いことがあると素直に喜んでいます。(^^)
そして周囲のお友達も、素晴らしい励まし方をしてくれる子供たちばかりで、本当に感謝しています。
私も今回の経験で、いろんなことを考えたし、たくさんの人の温かさを知ることができました。ありがとうございました。(^v^)
★☆彡
今日もお読みいただき、ありがとうございました♪
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【補足】
なぜ「願望実現」について疑問が出てきたかというと、今回の目標は娘にとってものすごく「ワクワクするもの」だったし、進んできた道中も大変ワクワクし続けていたからです。受験は娘の希望だったので、娘がワクワクしている様子に私もワクワクしていました。
直前に不安になったということはあったので、テクニック的に言うと「クレンジングできてなかった」とかあるのかもしれないですが、「ワクワクする道は正しい」と思っていたので、今回のような疑問が出てきたのでした。
結局はこの結果を超えたところにワクワクのゴールがあるのかもしれないですね。
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